キッキングホースに浮かぶ雪
空は晴れ渡り、遥か彼方にそびえるキッキングホースの頂は、いまだ色褪せぬ純白の雪に覆われている。それは、まるで世俗から隔絶された詩の一節のように、ひっそりと過ぎし夢を語りかける。朝の微光の中、私は窓辺に身を寄せ、この白雪と蒼天を見つめながら、ふと故郷を離れた悲しみが胸を締めつけると同時に、この見知らぬ土地の静かな温もりに心が和むのを感じた。

私はその町の教会へと足を運んだ。そこは、故郷の古びた家を思わせる質素な木造の建物で、内側には柔らかな黄の灯りがともり、ひとりひとりの顔に穏やかな表情が浮かんでいた。異国から来た私に、皆は温かい笑顔で迎えてくれた。みんなで英語の賛美歌を口ずさむ中、低く柔らかな旋律は、遠い故郷の鐘の音のように、漂泊する私の心に久しぶりの安堵をもたらした。説教壇に立つ牧師の声もまた、かすかな遠雷のように、私の心の隅々に静かな慰めを注いでいた。

昼時、一人の老婦人が手作りの菓子を差し出してくれ、その温かい香りは、まるで遠い記憶の扉をそっと開くかのようであった。町の隅々にある古びた日用品や、ささやかな道端の風景が、異国の地であっても、彷徨える心を優しく包み込み、ひとつの温かい住まいを紡ぎ出す力があることを、ひっそりと告げているようだった。

商店街を歩いていると、ふと一軒の日本料理店に足を踏み入れた。女将が柔らかな声で「いらっしゃいませ」と日本語で迎えてくれたその音色は、まるで故郷の風が心に触れるようで、私は「こんにちは」と返すと、その簡素な挨拶の中に、深い郷愁と未来への夢が静かに宿っていることを感じた。碗に盛られたうどんと餃子は、ただの食事ではなく、記憶と期待が囁くかのように、私にひとときの帰属感を与えてくれた。

午後の空は、透き通る青さをたたえ、地元の人々はそれを「blue bird」と呼ぶ。私は古びた大型フィルムカメラを手にし、変わらぬキッキングホースを目にしてシャッターを押し、この一瞬の美しさを銀塩のフィルムに閉じ込めた。細やかな雨が静かに舞い降り、斜陽が路地の入口から差し込み、一筋の虹が雪と石畳の間に穏やかに架かる光景は、時の煌めきがいかに儚くも美しいかを物語っているようだった。

日が沈み、後方の森から鹿が静かに姿を現し、薄明かりの下で温もりを求め歩み出す。夜が訪れると、私は自宅の前で小さな焚き火を組み、桃の木を燃やして北国の厳しい寒さをしのいだ。火の光に映る牛ステーキと乳酪の余韻は、異国の地における私への真実の慰めであった。

深夜、Tim Hortonsで働く友人が、大きな袋に入ったドーナツを抱えて訪ねてきた。彼は笑いながら、「もっと脂肪を蓄えなさい。これで北国の寒さにも耐えられるだろう」と語った。ドーナツの糖衣は、焚き火の温もりに溶け、まるでその夜の小さな、しかし確かな温情を映し出しているかのようであった。その瞬間、孤独と温もりの狭間で、私は人生とはこうした些細な温情と郷愁によって、決して散らばることのない詩を紡ぎ出すものだと、静かに悟った。

この異国の蒼天の下で、私は一瞬一瞬を心に刻む術を学んだ。故郷の影は遠くとも、白雪と蒼天が寄り添う時、心の中にそっと帰るべき道が、知らぬ間に広がっていくのを感じるのである。

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