夏:フェリー、海鯨、そして灯台の輝き

夏の朝、バンクーバーの港に陽光が降り注ぐ中、私はフェリーに乗り込んだ。ジョージア海峡のそよ風が頬を撫で、船体が静かに揺れる。甲板に腰を下ろし、熱いコーヒーの湯気と焼きたてのパンにジャムを塗った香り、そして燻製サーモンのサンドイッチを味わう。
素朴で手頃なその味に、海の塩気が混じる。カメラを手に遠くの島影を捉えつつ、雲が青空と碧海の間で織りなす流れを眺めた。望遠鏡を手に持ち、北太平洋に棲む花魁鳥(エトピリカ)を探した。夏には北海道の東やバンクーバー近海に渡ってくると聞いていたその鳥を、海面に映る波の間で追い求めた。

しかし、視界にはカモメの白い翼と風の音だけが漂い、色鮮やかな冠羽は現れなかった。心に小さな欠落が残りつつも、この広大な海が私に教えてくれる——自然は求めるものではなく、与えられるものだと。

ビクトリアに着き、バスに乗り換えてインナーハーバーへと向かった。海風が塩気を運び、港のざわめきと船の汽笛が夏の調べを奏でる。
Prince of Whalesの観鯨船に乗り込み、船長が言う。「この海は生命の舞台だ」。レース・ロックス灯台へ向かう途中、海面は鏡のようで、陽光が波に踊る。再び望遠鏡を手に花魁鳥(エトピリカ)を探したが、その姿は見えず、ただカモメとトビウオが過ぎるばかり。すると突然、水しぶきが静寂を破った。シャチの母が子を連れて浮かび上がり、黒と白の体が波間で戯れる。私はシャッターを切り、その一瞬を収めた——母子の絆、海の無限、生命の純粋さ。夕陽が沈み、レース・ロックス灯台が橙色の空に立つ姿は、自然の番人のようだった。心に静かな畏怖が湧き、花魁鳥(エトピリカ)を見られなかった寂しさは、この出会いに癒された。
夜、港に戻ると、議会大楼(Parliament Buildings)の灯りが星のように輝く。三脚を立て、長時間露光でその緑の屋根と金の光を切り取った。海の息吹と街の温もりが胸に響き合う夜だった。

翌朝、ビーコンヒル公園へ。薄霧が草地を包み、露が陽光にきらめく。マイル・ゼロを歩き、横断カナダの起点に立つと、草むらで野生のラッコが遊ぶ姿を見つけた。風と共にあるその軽やかな動きを、レンズ越しに追いかけた。海辺の小道を進み、ブレイクウォーター灯台へ。

波が岩に打ち寄せ、大地の吐息が聞こえる。最後にフィッシャーマンズ・ワーフに着き、色とりどりの浮き家が水面に映り、カリフォルニアアシカが陽を浴びて眠る。私はカメラを構え、夏の海の終幕を刻んだ。自然の恵みに心が満たされた。
秋:紅葉、渡り鳥、そして年の瀬の静思
秋、再びビクトリアを訪れた。季節の呼び声に導かれるように。ビクトリア大学に足を踏み入れると、紅葉の宴が待っていた。楓の木々が赤と金に燃え、落ち葉が小径を鮮やかな絨毯に変える。
一歩ごとに葉が擦れ合い、さらさらと音を立てる。カメラを手に、光が葉の隙間を抜ける瞬間を捉えた。影と光が紅葉に踊り、自然の炎が燃えるようだった。芝生には渡り鳥が舞い降り、秋の実をついばむ。翼の動きが遠くからの便りをもたらす。私は静かに見つめ、レンズにその絵を収めた——鳥、紅葉、秋風、生命の巡りがここで交わる。

キャンパスを歩きながら、年の終わりを感じた。楓葉が散り、渡り鳥が南へ飛び立つ。それは、カナダでの旅が終わりを迎える兆しだった。木の下に立ち、目を閉じ、風と鳥の声を聴く。自然への感謝が胸に溢れた。この土地は海と森と季節をもって、生命の壮麗さと儚さを教えてくれた。私のカメラは風景を切り取るだけでなく、この旅の感情を宿している——夏のシャチの躍動から、秋の紅葉の静けさまで、一枚一枚が大地の詩なのだ。
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